

宿泊費の高騰や夜行バスの減便に悩んでいませんか?
本記事では、かつて本州と北海道を結んだ夜行急行「はまなす」の実体験を通じて、今だからこそ再評価したい“夜行列車という移動手段”の魅力を紹介します。
急行はまなす 青森から札幌へ
2025年3月現在
訪日外国人旅客が増え続け、各地の宿泊施設の料金は高騰しています。また、国内の催し物が重なると宿の確保が難しくなることも少なくありません。
長距離夜行列車はほとんど消滅しましたが、こうした事情から再び注目されつつあります。今回は、まだ在来線の夜行列車が数本残っていた頃の体験を振り返ります。
北海道新幹線開業前の決断
北海道新幹線が新函館北斗駅に乗り入れるというニュースが聞こえてきた頃、「夜行急行に乗れるうちに乗っておこう」と青森へ向かうことを決めました。
当初の計画
未体験の「のびのびカーペット」を予約するつもりでしたが、実際に手配できたのは指定席ドリームカーでした。最終的に乗ったのは幸運にもB寝台下段です。


東京から青森までの道のり
夜行急行列車の始発駅へ
かつて東京駅は上野駅は夜行列車が多数発着していました。時代の流れて次々に夜行列車が廃止され、当時は乗車出来る列車も限られた時期でした。最後に残った夜行急行列車「はまなす」は青森発着でした。
東京16:20発の「はやぶさ27号」で新青森へ向かいます。土曜日の夕方とあって、仙台で多くの乗客が降りたかと思えば、すぐに同じくらいの人数が乗り込んできました。盛岡からは隣の席が空き、快適に新青森へ到着。
新青森からは「特急白鳥27号」で青森駅へ。たった一駅だけの乗車でしたが、この列車を降りるのが名残惜しく感じられました。かつての「白鳥」といえば大阪~青森間を結んだ485系電車を思い出す世代のため、少し違和感も覚えました。


夜行列車「はまなす」への乗車準備
青森駅で一風呂浴びてリラックス

青森駅で下車した後、一風呂浴びようと「まちなか温泉」へ立ち寄りました。ここでゆったり入浴と食事を済ませ、再び青森駅へ向かいます。
いざ乗車!急行「はまなす」

22:00過ぎ、青森駅に戻ると「はまなす」が以下の編成で待機していました。
- ED79 9形電気機関車
- 24系寝台車2両
- 14系座席車5両
これは、アメリカのアムトラックなど外国の夜行列車でよく見られる理想的な編成です。
当初乗りたかった「のびのびカーペット車」は満席でした。発車前には既に横になって寝ている人が多数いました。土曜の夜にもかかわらず「ドリームカー」には余裕がありました。ドリームカーは183系気動車のグリーン車用座席を転用。元特急車両の座席だけに座席幅や間隔に余裕があります。


2段式開放B寝台に乗れる機会はこれが最後かもしれないと思い、車掌さんに確認。幸運にも車内清算でB寝台下段に変更できました。




函館での機関車交換と深夜の列車旅
青函連絡船運航時代は深夜も賑わっていた函館駅
夜行列車では出発後に騒がしいことが多いのですが、この日は静かに発車しました。函館到着を見越して早めにベッドに横になり、仮眠をとります。
函館は鉄道ファンにとって見せ場の一つです。岡山ではサンライズ瀬戸・出雲の増解結の風景にギャラリーが集まるように、電気機関車からディーゼル機関車(DD51 1138号機)に付け替えられ、進行方向も変わります。
また、当日は回送用と思われる外観が傷んだ24系寝台車がディーゼル機関車の次に連結されました。この停車中に車内を見回すと、ドリームカーよりも自由席車の簡易リクライニングシートのほうが空いている印象でした。
かつて青函連絡船が運行されていた頃、深夜便は0:30過ぎの出航でした。出航後も職員が業務で動きまわって賑わってた頃と違い、夜が早くなった感じでしょうか。


北海道の朝と札幌到着
4月の朝の北海道は少し肌寒い
再び仮眠を取り、目が覚めたのは南千歳到着直前。4月下旬の北海道は早朝から明るく、左手に千歳基地を眺めながら列車は快適な速度で進みます。そして札幌駅には定刻どおり到着しました。
ヨーロッパではクシェットと言われる簡易寝台はカーテンが無いのですが、B寝台はカーテンでプライバシーを保てるのがありがたいです。
乗車は長過ぎず及び短すぎず、適度な所要時間で移動出来るのは実用的に使えて非常に便利です。
設備も様々な選択肢が容易され、一番の利点は気が向いた時に体を動かせたり歩けることでした。
バスではこのようにはいきません。


まとめ
夜行列車は未来の移動インフラ
– 宿不足や夜行バス減便の中、夜行列車の価値が見直されつつあります。
– 「はまなす」は、ただの移動手段ではなく、旅の一部として思い出に残る列車でした。 今後もこうした夜行列車の復活や、観光・実用を兼ねた運行が望まれます。
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